ソファテーブル,食卓,大理石風,GS,テーブル,オフィス,ソファ用テーブル,ソファテーブル,幅145cm,鏡面,長方形,応接テーブル,コの字,ダイニング,高さ60cm,オーダー家具,カフェ,51480円,高級家具,ソファ用テーブル,高め,60,長方形,家具,食卓テーブル,14555H,家具,ダイニングテーブル,www.calipsophotography.com,テーブル,食卓,ZERO-X,コの字,大きい,/idgah605649.html,奥行55cm,ダイニング,インテリア・寝具・収納 , 収納家具 , 本棚・ラック・カラーボックス , ウッドラック,カフェ,北欧,大きい,グレー,鏡面,食卓テーブル,高め,応接テーブル,ネイルデスク,グレー,ダイニングテーブル,60,高級家具,大理石風 ダイニングテーブル 鏡面 テーブル 食卓 大きい 応接テーブル コの字 家具 予約 グレー 大理石風 食卓テーブル ソファテーブル 高め 長方形 ダイニング 60 オーダー家具 オフィス ネイルデスク ZERO-X GS 奥行55cm 高さ60cm ソファ用テーブル カフェ 14555H 高級家具 幅145cm 北欧 ソファテーブル,食卓,大理石風,GS,テーブル,オフィス,ソファ用テーブル,ソファテーブル,幅145cm,鏡面,長方形,応接テーブル,コの字,ダイニング,高さ60cm,オーダー家具,カフェ,51480円,高級家具,ソファ用テーブル,高め,60,長方形,家具,食卓テーブル,14555H,家具,ダイニングテーブル,www.calipsophotography.com,テーブル,食卓,ZERO-X,コの字,大きい,/idgah605649.html,奥行55cm,ダイニング,インテリア・寝具・収納 , 収納家具 , 本棚・ラック・カラーボックス , ウッドラック,カフェ,北欧,大きい,グレー,鏡面,食卓テーブル,高め,応接テーブル,ネイルデスク,グレー,ダイニングテーブル,60,高級家具,大理石風 ダイニングテーブル 鏡面 テーブル 食卓 大きい 応接テーブル コの字 家具 予約 グレー 大理石風 食卓テーブル ソファテーブル 高め 長方形 ダイニング 60 オーダー家具 オフィス ネイルデスク ZERO-X GS 奥行55cm 高さ60cm ソファ用テーブル カフェ 14555H 高級家具 幅145cm 北欧 51480円 ダイニングテーブル 鏡面 テーブル 食卓 大きい 応接テーブル コの字 家具 グレー 大理石風 食卓テーブル ソファテーブル 高め 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 60 高級家具 ダイニングテーブル 食卓 大きい コの字 テーブル 家具 鏡面 ネイルデスク グレー ソファテーブル 高め 応接テーブル 大理石風 食卓テーブル 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 高級家具 60 北欧 オフィス オーダー家具 幅145cm 奥行55cm 高さ60cm ZERO-X 14555H GS インテリア・寝具・収納 収納家具 本棚・ラック・カラーボックス ウッドラック 51480円 ダイニングテーブル 鏡面 テーブル 食卓 大きい 応接テーブル コの字 家具 グレー 大理石風 食卓テーブル ソファテーブル 高め 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 60 高級家具 ダイニングテーブル 食卓 大きい コの字 テーブル 家具 鏡面 ネイルデスク グレー ソファテーブル 高め 応接テーブル 大理石風 食卓テーブル 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 高級家具 60 北欧 オフィス オーダー家具 幅145cm 奥行55cm 高さ60cm ZERO-X 14555H GS インテリア・寝具・収納 収納家具 本棚・ラック・カラーボックス ウッドラック

ダイニングテーブル 鏡面 テーブル 食卓 大きい 応接テーブル コの字 家具 予約 グレー 大理石風 食卓テーブル ソファテーブル 高め 長方形 ダイニング 60 オーダー家具 オフィス ネイルデスク ZERO-X GS 奥行55cm 高さ60cm ソファ用テーブル カフェ 14555H セール 登場から人気沸騰 高級家具 幅145cm 北欧

ダイニングテーブル 鏡面 テーブル 食卓 大きい 応接テーブル コの字 家具 グレー 大理石風 食卓テーブル ソファテーブル 高め 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 60 高級家具 ダイニングテーブル 食卓 大きい コの字 テーブル 家具 鏡面 ネイルデスク グレー ソファテーブル 高め 応接テーブル 大理石風 食卓テーブル 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 高級家具 60 北欧 オフィス オーダー家具 幅145cm 奥行55cm 高さ60cm ZERO-X 14555H GS

51480円

ダイニングテーブル 鏡面 テーブル 食卓 大きい 応接テーブル コの字 家具 グレー 大理石風 食卓テーブル ソファテーブル 高め 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 60 高級家具 ダイニングテーブル 食卓 大きい コの字 テーブル 家具 鏡面 ネイルデスク グレー ソファテーブル 高め 応接テーブル 大理石風 食卓テーブル 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 高級家具 60 北欧 オフィス オーダー家具 幅145cm 奥行55cm 高さ60cm ZERO-X 14555H GS
















商品スペック

Zero-X 14555H GS

オリジナル
arneだけの限定販売です
組立品
六角レンチ付
見本請求可能
板見本の送付が無料
サイズ

サイズ:約幅1450 奥行き550 高さ600 mm
天板厚み:40mm

材質

メラミン樹脂化粧合板

カラー

グレーストーン

※モニターなどの閲覧環境によって、実際の色と異なって見える場合がございます。

重量

約17.7kg

仕様

天板均等耐荷重:約90kg
日本製
お客様組み立て
六角レンチ付属
床キズ防止フェルト付属

ブランド
 
送料

※離島は送料別途お見積もり。

納期

ご注文状況により納期に変動がございます。最新の納期情報はカラー選択時にご確認ください。
※オーダー商品につき、ご注文のキャンセル・変更につきましてはお届け前でありましても生産手配が済んでいるためキャンセル料(商品代金の50%)を頂戴いたします。
※商品到着までの日数は、地域により異なります

配送について

家具の配送は「玄関での受け渡し(建物入り口または1階)」になります。
エレベーターがある場合は玄関までになります。
配達はドライバーが一人でお伺いしますので、大型商品や重い商品(一人では運べないような商品)につきましては、搬入作業をお客様にお手伝い願います。


有料になりますが、開梱設置も承っております。
お手伝いが難しい場合や、女性の方しかお受け取りができない場合は開梱設置をご一緒にご注文いただくことをおすすめ致します。

当商品は【C区分】です。

本州、四国の方から
北海道、九州の方から
※沖縄・離島は別途お見積もりとなりますのでお問合せ下さい。

備考

板の角が鋭くなっておりますので、組み立てやご使用の際は十分にご注意ください
※製造上の都合や商品の改良のため、予告なく仕様変更する場合がございますので予めご了承ください。

管理番号

0000a46942/



ダイニングテーブル 鏡面 テーブル 食卓 大きい 応接テーブル コの字 家具 グレー 大理石風 食卓テーブル ソファテーブル 高め 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 60 高級家具 ダイニングテーブル 食卓 大きい コの字 テーブル 家具 鏡面 ネイルデスク グレー ソファテーブル 高め 応接テーブル 大理石風 食卓テーブル 長方形 ダイニング カフェ ソファ用テーブル 高級家具 60 北欧 オフィス オーダー家具 幅145cm 奥行55cm 高さ60cm ZERO-X 14555H GS

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

現役時代は商社マンでした。
その後スペイン・ロマネスクを究めるべく日々研鑽。
70歳代に『イスパニア・ロマネスク美術』(2008年)、
『神の美術ーイスパニア・ロマネスクの世界』(2011年)刊行。
11年超のヤフーブログからこちらへ引っ越しました。
2020年以降は本人の遺志を継いで、これまで書き溜められた原稿や講演録から随時更新していきます。(管理人)

マドリード(c/SerranoR3/A3に乗るのは比較的容易だったが、Arande del Rey の先からValadilechaまでの道のりには難儀した。

 

分らぬときは何度も人に聞くに限る。

 

村は小綺麗で山腹にあるためか道は坂で入り組んでいた。

 

中心広場に車を停め、坂道を左方に少し上ると目指す Mudejar Románico様式(13世紀初頭)のSan Martin Obispo教会に着いた。



 

中規模の一廊式一祭室、祭室の外郭は盲アーチのムデハールらしいレンガ造りの赤茶けた色彩が往年の姿を偲ばせる。



 

大方カメラで撮影を終えた頃、若い神父がそこに現れ、十字架の飾りつけをしていて今日は撮影禁止ということだった。

 

聖堂の内部は薄暗く、村人が数人敬虔な祈りを捧げ聖書を手にしていた。

 

祭室の壁画はパントクラトールだが、マンドルラの中に主の下半分だけの赤い衣が印象的に残っていた。




マドリード自治州内における、ロマネスクからゴシックへの移行期の壁画で残存している珍しいものである。

 

聖堂の外側の低い道路では青空市がたっていて、果物や安物の衣類などが並んでいた。



 

空は一点の雲もなく見事な紺碧の様相で、強い太陽が眩しかった。








Aranjuez への道中は、晩秋のポプラ並木に陽光が降り注いで、木々の間に落葉片々が眩しい黄金色の雨を降らしているようだった。ゴッホの絵のようだった。

 

(勝峰昭 旅NOTE 2010114日)









FIN

(次回は、10月22日に更新します)

_______________________________



GENKYO横尾忠則展が東京都現代美術館にて20211017日まで開催されています。

「原響から幻境へ、そして現況は?」というタイトルで、500点以上出品されています。

 

 

 
 

【勝峰昭 2016.08.24執筆の原稿より】

 

横尾忠則は著作『絵画の向こう側・ぼくの内側―未完への旅』(岩波書店、2014)で、彼の画家人生の軌跡とその時々の感慨を率直過ぎるくらいに朴訥に語っておられます。

 

“中央の出っぱった家を中心に左右に二本の道が分かれている。

この場所を夜に撮ったために、左右に分かれた日本の道は、その先で夜空と溶けてしまっていて、消失点が二つある。

大抵の風景画の遠近法で消失点は一つである。

だけど
Y字路にはそんな一般的な風景画にはあり得ない特徴がある。

ぼくが
Y字路の絵を描くのはそんな二つの消失点持つ左右対称の風景画だからだ。

Y字路は絵に描いて初めてその性質の魅力を浮かび上がってくるのである。”

 

 

そしてまた彼は自分のメッセージを読者に次のように述べています;

 

‟本書は、描くこと創ることに関して、ぼくが生きて、活動する中で発見したもののコラージュである。”

 


さらに、

‟見えないものは描かない、見えないものは見えないように描くべきではないか”

と云っておられます。

 

これが彼の「黒いY字路」シリーズとなっています。

 

 

 

  「ガロア」の家 2009 (絵葉書より)



 

私は1980年代後半にJALの東京~パリ(北極回り)で、オーロラの真っただ中を飛んだことがあります。

 

グリーンランドかフィンランドの上空だったか、そのとき乗客は私だけだったので、機長が気を利かせてくれ客室乗務員に指示し窓をすべて開けてくれて、青、緑、薄赤の光の幻想的な世界に飛翔するという経験をしました。

 

横尾画伯も同様の経験をされたようで、最近オーロラを絵の中に取り入れて、その心を

 

直線的なキュビズムに対して、ぼくのオーロラの絵は曲線的なキュビズムのように思えるのだ(同書)と云っておられます。

 

いつの日かお会いする機会に恵まれるようなことがあれば、ロマネスク美術に対する感想をお聞きできればと願っています。

 

しかしお互い後期高齢者でもありますが。



  
十字の滝 1992 (絵葉書より)

 

                                                                                             

 

 

(管理人より)

 

9月のある日東京都現代美術館GENKYO横尾忠則展1Fの神話の森から始まり各室を巡り、3FY字路のところで横尾忠則氏本人がゲストを案内されているところに遭遇しました。

特徴のある声に大変驚き近くでお話にしばらく耳を傾かせていただきました。

 

Y字路の部屋の最後にあった作品の前で、「これが一番好きで大事なもので、具象から抽象に移行していくこれがあるから今がある」というような話をされていました。

 

徐々に密状態になりつつあったので途中離脱しました。

 

1980年代のポスター展から足を運んでいる者にとり、ほんの少しの時間が大変貴重ですばらしい体験でした。

 

後日彼のツイッターにこうありました。

「ふつうは自作について語れません。

だけど時間が経ち過ぎた作品については語れます。

そこには今の自分がいないからです。

過去の抜け殻の自分だから、自分であって自分でないのです。」

 

 

 
  As My Flower Cries, My Heart Weeps Blood  1988  (絵葉書より)

 

・・・・・・・・・・・・・・

 お知らせ

NHK 日曜美術館

「横尾忠則 ART IS LIFE

初回放送日: 2021926

103()午後8:00放送予定

 



・・・・・・・・・・・・・・

 

 
  THE BEATLES  1972 (絵葉書より)
 

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

もう長いこと新聞や雑誌で目に留まった面白そうな記事を切り抜いています。
それが膨大になりすぎて、ここのところその整理に忙殺されています。

 

捨てるに忍ばないものだけ残して、あとは思い切って捨てようと方針を決めて取り組んでいますが、忘れているものが多く、ついまた読み始めてしまいます。

 

シリーズとして長年続いている日経新聞の文化欄の「十選」は必ず目を通していて気に入ってとって置いています。

 

20071月の堂本尚郎氏の十選「前衛の力」で、小出楢重「横たわる裸身」の絵を解説しておられます。

 

父が堂本印象と面識があり生前よく彼の絵の話をしていたので,その縁から甥の尚郎氏の記事を再読することとなりました。

 

「横たわる裸身」について、彼が≪梅原龍三郎氏がいつぞや西洋のご婦人の尻よりも、日本人女性のたれた尻の方が好きだ、というようなことを語っていましたが、小出が描いた裸婦の後ろ姿こそ理想だったのでしょう。小出の絵には、東京の人間とは違う、大阪人の泥臭いど根性みたいなものが感じられる。≫と書いておらます。
私も大阪生まれの人間として、何となくわかるような気がします。

(管理人:新聞記事が見つからず掲載できずすみません)

 

 

さて、キリスト教美術であるイスパニア・ロマネスク美術ですが、かの時代の思想背景からしてヌードは馴染むものではありません。

 

旧約聖書・創世記の「アダムとイブ」の禁断の木の実を食べる情景に、極めて扁平でシンプルな裸体が描かれています;ソルソナ美術館蔵の板絵をご紹介します。



Taula lateral d’altar. Adam i Eva, Passió de Cristi Entrada a Jerusalem

Pintura sobre fusta/Tremp. Ultim Quart S

Església de Sant Andreu,Sagás (Berguedá) (絵葉書)


 

【送料無料】計10本セット インビンシブルハンガー ジャケット用肩先ロングタイプ IVS-JK300LWH 計10本セット インビンシブルハンガー ジャケット用肩先ロングタイプ IVS-JK300LWH(代引不可)【送料無料】
Adam i Eva. Pitura mural.

Segona meitat del SX

Sant Pau de Casserres. (絵葉書)  


 

 

堂本印象にはヨーロッパ美術紀行として『美の跫音』(人文書院、昭和30年)があります。



堂本印象 「プラド美術館の窓」

<グレコやヴェラスケスなどの大作をみたあとで、疲れた目をふと窓に転ずると、唐草模様にかこまれたその窓から、外の青空に浮き出た建築がみえ、ここにも美しい硝子絵が掛けられているかのような錯覚を起こすのであった。>

 ・・・・・・・・・・・・

 



 

(勝峰昭執筆2018311日)




__________


今回は美術を離れて、少しばかり中世の市井に身を寄せてみましょう。

 

ここで改めて申し上げるまでもなく、ロマネスクの時代の世間はその日暮らしの貧しい農民たちがほぼ90%を占めていました。

残りがいわゆる王侯貴族、僧侶、市井の小集団が社会の人口構成でした。

 

では一体市井の人たちはその頃どんな生活をしていたのでしょうか。

ここに一部の人たちの生業を絵で見てみましょう。


  La hilandera     糸をつむぐ人





  La dama          婦人






  La bailarina     踊り子




  El tocador de guitarra   ギター弾き



この絵は『El Claustro de Silos(Fray Justo Pérez de Urbel))という著名な書物に掲載されているものです。

ロマネスク時代の市井の風景が想像できます。

(勝峰昭執筆 2018年06月20日




________________


<ゴッホは非常に情熱家でキリスト教徒でもあったが、創作に際して宗教的な古いテーマを印象派的に描くことはできなかった。>

 

これはヘーゲルのことばです(引用元は後述)。

 

 

「芸術家artista」というと聞こえは厳めしいですが、西欧がロマネスク美術一色に染まった1112世紀当時は、平たく言えば工匠(工房の親方)と工人のことでしょう。

 

宗教施設(大聖堂、教会、修道院など)と個々の特定の計画ごとに契約を結んで仕事を請け負い、建築なり彫刻や壁画といった具体的なものを完成した人たちです。

 

その発注元が宗教施設でしかもその内容が宗教的な概念を具体化する仕事であっても、俗人であるか否かは関係ありません。

 

もちろんその内容を承知していることは必要条件で、宗教的環境の中で醸成され、仕事を遂行するための技を相当磨かねばならなかったでしょう。

 

教会なり修道院が何を表現してほしいのか察し得る能力が求められ、逆に発注する方も芸術家の能力を見抜かねばならなかったことは、いうまでもありません。

 

 

アメリカ人のロマネスク碩学Mayer Schapiroの有名な論文「Sobre la actitud estética en el arte románico(ロマネスク美術における美学的態度について)」(1947)と「Del mozárabe al románico en Silos(シロスにおけるモサラベよりロマネスクまで)」(1939)があります。*

 

 

*Meyer SchapiroEstudios sobre el románico(ALIANZA FORMA 1995)より

 


私は
イスパニア・ロマネスク美術の勉強を始めた2000年頃、西語訳本から邦文に完訳しました。

多くの文献を「翻訳」するという作業を通して、ロマネスク探究の旅はここから始まったのです。

 

その中でSchapiroはヘーゲルの文を一部引用しています。

 

冒頭のゴッホの一文のほかに印象に残ったものをここに再引用しましょう:

 

<慈悲の時代においては、真に宗教的な芸術作品を創造する為に、信心家になる必要はない。むしろ今日では信心深い芸術家ほど作品制作能力がない。>

 

<ロマネスク・アーチの多様性は“有機的”多様性ではない(礎石,柱身、軒蛇腹、持ち送りなど)。部分を個性化し、機能的同一性から離れている。>

 

このヘーゲルの一刀両断的見解にはやや辟易としますが、ゴッホの心はさすがで良く解ります、崇高で抽象的な世界のことですから。

 

ロマネスク時代の芸術家たちは一匹オオカミで各地を放浪する壁画家は別として、そのほかの絵画(板絵)や彫刻は徒弟制度的一家の親方を頭(かしら)に、各地に網を張ってお互いに協力し合いながら、自由奔放に個性的な仕事をした工人たちの集団であったといえるでしょう。

 

その作品の内容から見て、狂気とさえ云えるほど人間の本性に迫る描写や、幻想と仮象の世界をグロテスクに描いたり彫刻で云えば繊細なビットや斜面彫の技法など、大胆にして細心またその多様性に驚くばかりです。

ロマネスクならではの魅力でしょう。

 

 (勝峰昭執筆2016.11.25


・・・・・・・ 


 *『神の美術ーイスパニア・ロマネスクの世界』(勝峰昭、光陽出版社、2011年)の第11章ヨーロッパの芸術家たちとロマネスクでは、ゴッホ、ピカソ、グレコなど取り上げています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
 


___________________ 

夢に見た Sant Pau de Canmp それは蝉が五月蠅く鼻の先を飛び交う barrio chino の一角、朝の9時だった。

 

教会のすぐ前の薬屋の女店員に、この教会は何時に開くかと問うと「Hoy es viernes,・・・今日は金曜日だから多分終日門を閉ざすだろう。運が良ければ午後開くかもしれぬ。」とのこと。

 

正面西側の鉄塀の外側から教会を見上げていると、初老の品のいい婦人が鍵束を取り出し鉄扉に近づいてきた。

 

今日は開くのですかと尋ねると、いつも10時に開けるのだけど今から入れてあげるわ、と天の声。




 

内部の扉を全部開けるから、ここで待っていてください。
 

西正面の扉口の最上方には「神の手」の彫刻が、円環のなかに手のひらを見せるように描かれている。

少しの欠損はあるもののしっかり残っていた。



 

920分にはその横の扉口から招き入れられた。

 

植物模様の柱頭、多弁状のアーチがエキゾチックである。

 

バルセロナ市内とは思えない静けさの中、修道院から讃歌が聞こえた。

 

(勝峰昭 旅NOTE 2006年10月06日

 

・・・・・・・・・・・・・・・

今回は〔彫刻〕の「神の手」です。

前回のブログでは、MNAC蔵の〔壁画〕 'Pantocrátor'  とともに「神の手」を取り上げました。




Sant Climent de TaüllÁbside.

Agnus Dei, Dextera Domini, Maiestas Domini

(“El Románico en las colecciones del MNAC”2008より)


 

*「神の手」については、その図像について『イスパニア・ロマネスク美術』(p250)で取り上げています。

 
 

*旧約聖書 詩編177

「慈しみの御業を示してください。あなたを避けどころとする人を、立ち向かう者から右の御手をもって救ってください。」


________






____________________

 

 

バルセロナ万博(1929年)に際して建てられたものを改装した、国立カタルーニャ美術館(略してMNAC)は各地から移管された壁画が主要陳列品となっています。

前回ご紹介した「神の小羊」を含む壁画の全体写真です⬇️

 

Sant Climent de TaüllÁbside

MNAC/MAC15966

(“El Románico en las colecciones del MNAC”2008より)

 

あのカタルーニャ・ロマネスク壁画の最高傑作といわれている、'Pantocrátor' 「座せる全能の神キリスト像」、

その上方に父なる神の右手「神の手」、

そしてそのまた上方に「神の小羊」があります。

 


美術館はロマネスクのほか、ゴシック、バロック、モダンなどのブースに分けられています。

 

 

この壁画はもともとピレネーの南麓サン・クリメント教会(タウイ)の主祭室にありました。
美術館へ移管前の写真です⬇️ 



 

Interior de Sant Climent de Taüll en 1904.

(“El Románico en las colecciones del MNAC”2008より)

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

初めて国立カタルーニャ美術館を訪ねた2005年のこと、ロマネスクブースの入り口で午後の開館を待っていた。

                                                                                                 

後方から声をかけてきた青年の熱のこもった話は、スペイン人らしい表情や豊かな身振り手まねも合わさって、おおいに私を興奮させた。

 

ロマネスクのブースで、一番重要な ''Pantocrátor” がどのようにここに運ばれたのか、自分は今日仕事が休みで、待ちに待って「また会いに来たのです」と。

 

入場すると、そこは暗く人も少なく静かな環境の中での対面となった。
 

今にもこちらに降りてきそうな崇高なキリストがただただ恐ろしく、じっとその場で立ちすくむだけだった。
 

キリストは威厳に満ち、最後の審判者の姿をしている。
 

カタルーニャ・ロマネスク壁画の最高峰だ。

 

 

後年ピレネー山脈に向かい車を走らせ、サン・クリメント教会を訪ねた。

ボイ谷は小雨と晴天が繰り返される山の天候そのもの。

奇形聖堂の配置の原因や今はない壁画について教会守りに尋ねてみた。

土地の起伏によるという説明のあと、壁画については無言で頷いただけだった。

年配者の憂いのある眼差しが心に残った。

 

(勝峰昭 旅NOTE 2009年5月15日

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

*「MNACに移管されたオリジナル壁画と比べたらその違いが歴然で、特に色合いが異なり、サン・クリメント教会の再生壁画の拙劣さがわかります。」(『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』より)

 

*2009年当時は再生壁画が教会にありましたが、その後取り除かれたのか塗り潰されたのか、時にプロジェクション・マッピングでCG画像が投影されていることもあると聞きます。

 

*この'Pantocrátor' の色彩や対称的な構図、後輪や福音記者については『イスパニア・ロマネスク美術』で詳しく述べています。

 
______
次回は「神の手」について


______
 


 


<神の小羊:7つの目は全地に遣わされている神の七つの霊である*>
 *聖書は文末をご参照ください 
 

 

 Agnus Dei del arco presbiterial de San Clemene de Taüll(国立カタルーニャ美術館蔵)

 (壁画「神の小羊」はもともとサン・クリメント・デ・タウイ教会にありました。)


「宗教」と「美術」は時に混同されますが、本来は別物であるとする見解が一般的なようです。

所謂カテゴリーはまったく別であり、それぞれの領域には壁があって入り込むことはできないという意味です。

しかし現実は昔々宗教的祭祁が発生し成長していったときに、「仮面」(例えば狼の面)を被ることによって呪術が成り立ったように、宗教的な情緒(原始的な信仰と言えるかもしれません)に促されて美術は育ったのだとも云われます。

この辺りから、宗教と美術の混同らしきものが生まれたのも事実です。

つまり入口は夫々狭く別々なのですが、一旦入ると中は広く境界は曖昧で、芸術感覚も宗教感覚も感性としては区別がつかないこともあるのでしょう。

 

私はここ20年近く、西欧中世時代のロマネスク美術を探究してきましたが、これは正真正銘の宗教美術(キリスト教美術)です。

この美術を究めようと努力しているうちに、いつの間にかキリスト教に深く浸り、この信の感覚は一体それは感性によるものなのか、認識によるものなのか、区別がつかない全体意識なのです。

この美術の「探究」から、それを含め全体の「探求」となりました。

このような自分の意識から、“宗教と美術は感性的には繋がっている”というのが率直なところです。


唯ヘーゲル哲学で云う「絶対知=理性」から見れば、まったく別物なのでしょう。




『ヘーゲル美学講義』(北隆館、S24年。趣きある装丁の年代物です。)


しかも美術の範疇でも、宗教美術のもつ聖なる世界の「超絶性」、「絶対性」は確かに美術の範疇を越えて互いに同化するからこそ、夫々の境界が見えなくなってしまうのでしょう。

 

 

(勝峰昭 執筆日20151227日)



*神の小羊:
ヨハネの黙示録5−6
〈小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。〉

ヨハネの黙示録 5−12
〈天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、力、知恵、威力、譽れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」〉


・・・・・・・・・・ 

(管理人より)

以前のブログでヘーゲルの宗教哲学に触れています(2016.04.25)↓

哲学するロマネスク(4) : 勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。 (livedoor.blog)



◉7つの目の図像からイメージされたものとして、現代美術家協会のマークや、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』ほ秘密結社ゼーレのマークおよび第2使徒リリスの仮面があります。
・・・・・・・・・・ 
きせき【奇跡・奇蹟】とは常識では考えられない神秘的な出来事をいいますが、一般的には宗教的真理の徴(しるし)と見なされるものの時には「奇蹟」を用いるという使い分けがされています。

☆☆☆

80歳の誕生日を迎えてから半年ほど超多忙な日々を送りました。
というのは年甲斐もなく同時に二冊のスペイン語の書物を邦訳したのです。
早朝起きだし深夜まで机にしがみつくという毎日で、これまで幾度も翻訳は手掛けてはいるのですが、70歳代とは身体の疲れがまるで違い閉口しました。
しかし頭の回転は反比例していました。

 

 Retablo de Santo Domingo



 

Grimaldola Vida de Santo Domingo』(聖ドミンゴの生涯)

Fray Justo Perez de UrbelEl Claustro de Silos』(シロスの回廊)
  (
Ediciones de la Institución Fernán González,1975)

 

前者は50頁ほどの小冊子です。
後者はスペインにおける代表的な修道院回廊に関して232頁となります。
訳していてのめり込んでしまい、時間の経過を忘れました。


ここでは翻訳の技術論はさておいて.....
 


 



主人公のサント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院の修道院長であった聖ドミンゴ・マンソの生前及び死後における多くの奇蹟は、いずれも驚くべき事実として身に迫りました。
今日でも巡礼者が絶えないのが頷けます。


キリスト教神学の定義によると奇蹟は「聖霊の働き」であり、「奇蹟は下位の公理の例外」とされています。
つまり“下位の公理”とは“科学”のことで、奇蹟は其の例外との位置づけです。
因みに“上位の公理”とは“教義”のことです。

平たく言えば、奇蹟を行う人は生前極めて徳が高く、神の思し召しに叶う人だけが神より与えられる超能力を備え聖霊の働きを呼ぶ人のことで、
聖ドミンゴはこの意味で天寿を全うした聖人にして奇蹟を行う人でもありました。
彼の場合それは庶民の日常性の中で起こす庶民的な奇蹟でした。
それは仰天動地の世界を招来したり、政治くさい意外性がないのが特徴です。

 

周知の如くシロスのサント・ドミンゴ大修道院は西欧のロマネスク美術上、その回廊の持つ重要性と意義は特筆に値する優れものです。





 

後者は、私にとって血となり肉となった素晴らしい古典的名著であります。
スペイン人の友人が古本屋さんで見つけてくれました。
いくつかの言語に翻訳されていますが、回廊に関する記述としてはこれに優るものはないでしょう。
ところが邦訳されたものは未だ我が国にはないと思います。

この美術の粋に酔いしれるとともに、初代修道院長だった聖ドミンゴの奇蹟の数々を具体的に知るのも、我々は日常性の中にあって神秘なしかも確かな神の恩寵の世界をより身近に感じることになるでしょう。

 
   (勝峰昭 執筆日2014531日)

 

前回は思いがけず大学時代の思い出話に終始してしまいました。


初期木版画 作者不詳 
「聖クラウデゥウス、聖三位一体おのよび受難具」

15世紀末、木版手彩色 (筑摩書房 『世界版画初期木版画』1978年より)
(クラウデゥウスは7世紀末のフランス・コンテのベネディクト派の僧院長。死後の奇蹟が知られている。)
*************** 


手持ちの書『神と哲学』(エチエンヌ・ジルソン著、三嶋唯義訳、行路社、1992、第五版178頁)ですが、内容はしっかりとまとまっていて版を重ねているだけのことはあります(初版1975年)。

 

前回お話ししたとおり、三島教授と京都の聖トマス学院で当時すれ違っていたのかもしれません。

 

さて「神とキリスト教哲学」というテーマについてです。


まず“キリスト教哲学”という言い方がふつうではないと感じます。

哲学を神学と読み替えるのが筋の様な気がします。

どちらの概念が相手を包含するのかまた全く別物なのかについて種々な尽きることのない議論があります。


本書は四つの項からなり、その講義はあらゆる形而上学的問題のうちで最高の問題のただ一つの面だけを取り扱っている、と始まります。





デューラー「聖三位一体の礼拝構図」素描、1508

板絵連作のための見取り図。(岩崎美術社 『デューラーの素描』1972年より)
*********** 

 

 
第二項「神とキリスト教哲学」に最近目を通しました:

・・・・・・・
ギリシャ哲学に先行してユダヤ人たちはすでに哲学に神を見いだしてしまっていて、神が自身をユダヤ人たちに啓示し自らの名を告げ知らせ、本性を説き示す神であり、唯一の神として(世界の第一原理、第一原因)その実在性(実在の宗教的原理と実在の哲学的原理と一致」、

つまり一にして真なる神の存在はモーゼによってユダヤ人に告げ知らされたのですが、

かれらの神との関係は常に「ペルソナ」の関係であり、モーゼが神に名を聞いたところ、神曰く「われは有りて在る者なりEgo sum qui sum(I am who am)」、具体的には「ヤーヴェJahweh」でありその意は「在る者He who is」であると宣ったのです。


そしてユダヤ人たちが神に選ばれた民族における私的な神であることをやめ、福音によって人類すべての普遍的な神となって以来、ギリシャ人たちの哲学的な第一原理は宗教的な第一原理と合致したのです。

いかなるキリスト教哲学者もその哲学において、「われ在り」を最高原理として定立しなければならなくなり、キリスト教哲学はまさしく本来的に「存在的」(existential)であるとなったのです。 

聖アウグティヌスに影響を与えたプロティヌスの「一者」と呼ぶ一体性「一」という概念に付帯した「知性nous: intellect」、つまり認識する主観であり同時に認識される客観でもあり、一者から生み出され一者に下属し、一者から流れ出る個別的なもろもろの存在の「多」を含む思惟(アリストテレス)=神=知性である、と述べられています。
・・・・・・・ 

 

難解な概念です。


この基本的な認識は「三位一体」となって現れ、一者は父なる神、知性は第二のペルソナである子なるキリスト、霊魂は第二の神とされています。

一者父なる唯一の神を共有しないすべてのものは必然的に生まれたもの、創造されたのでなければならないと解されます。


難解なこれらの哲学=神学を、ただ単純にキリストは一者たる神と創造されたすべてのものとの間におられる神と一体化された神だと、私は「三位一体」を理解しています。



(勝峰昭
 執筆日201656日)




マザッチョ 「三位一体」 フレスコ、1426-28年頃

サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂、フィレンツェ。
(大塚美術館 『西洋絵画3001998年より)
********* 




↑このページのトップヘ